人生には運命を変える、不思議な出来事があるもので余りにも偶然とは云えない出来事に遭遇する出会いがある。その一は旅行中の出来事である。
練馬区福祉公社企画の山形県羽黒山で行われた夜の神事四百年祭見学の旅行で一行は、三十名参加で、道中無事宿舎の宮田坊と云う修験者宅に到着。夕食時にこの家の主人行者の挨拶があり、心づくしの料理で宴会となり、先ず乾杯と一升入る大杯に御神水と称し神に献上の酒を注ぎ私の前に置かれ、乾杯の音頭を執るように依頼されたが、私がそんな大役の任に非ずと辞退し、旅行責任者の佐々木さんに代わって音頭をとって頂きホットした時、隣席に座した女性に声を掛けられ、判った事は、驚くことに「北村陽佳師」と云う運命鑑定士で、成田山新勝寺で運命鑑定士の免許を持ち数多い、鑑定依頼人の指針に応えておられる女性で、「陽佳師」曰く、あなたの後ろには、沢山の霊が見守っている【宮田坊の行者】は修業を積んでいるので、それが見えて、乾杯をしてほしかったのでしょうと、教えてくださり、心の洗われる心地がした旅行中、二泊三日「陽佳師」と山寺や最上川船下りを何時も隣席で、すっかり打ち解け楽しい旅行で、帰宅後も電話や年賀状で、親交を深め、平成22年11月、我が家も、長女、次女共、長男に嫁ぎ、いまのままでは、【御堂島家】は
消滅の不安を持っていた為、孫の中から、適任者の有無を鑑定依頼したところ、25日に鑑定結果持参で、我が家へ来訪、次女、和子さんの子供3人のうち、長男は後継で無理、下二人のうち何れかと思われますが、お宅には優れた霊能師さんが付いているので、その方が、すべて決めてくれるでしょうと云い、置いて帰ったその霊能師こそ、『後藤智光師』で幼少の頃から霊感を持ち、成人してから、京都市左京区聖護院中町に、九百年の歴史を持つ聖護院門跡で、修行をし免許を取得し、
【智光】の称号を賜り、清明神社ほか、全国の霊山・仏閣の護摩供養に参詣して神仏との
交信能力を取得した祈祷師であった。
『後藤智光師』との出会い
長野、秩父、東京と移動し転業を、織物会社、公務員と無事務めた事に納得と満足の日々を過ごす事が出来ていたが、昭和から平成に代わり、残念ながら、生死を分けた、胃がんを発病してしまった手術後毎夜のように、烏帽子姿の公家や鎧武者が夢に出て、睡眠不足に悩まされた折、
妹千代から連絡があり、同様の夢が毎夜のように続くので、兄さんの病状に変化は無いかと問合せがあり、変わりなく療養中である旨を伝えたが、ふと胸にうかぶものがあり、千代が、生家を相続し、夫辰男が死去後、三人の子供を連れ、松川に転居して墓所に墓を追立て、[曹洞宗香松寺]住職
に、御霊移しの回向依頼し、一族で法要を行いこれで御先祖も安堵して成仏と思っていたのに、
何故の減少が起こるかと、再度住職に回向供養をお願いした。
数年後、強度の脊柱管狭窄症 を発症、数十メートル歩くと、足のしびれで歩行ままならず、足がもつれ、転倒する始末となった。そんな折、長女の夫英雄から、数多くの難病患者を治癒させた、
[整体師]がいるので、と紹介され、早速訪問した処、体調の事は尋ねず、貴方には周りに彷徨う
沢山の御霊が見える、病気の治療よりその方の回向がまず先と教えられた、その人こそ、
「後藤智光先生」で、多忙の中、長野の実家墓所で、一基、一基を祈祷回向した他、神の天神社 産土社に参詣祈祷しその後、松川墓所とお仏壇で回向し帰宅、数年後長野を訪問再度同様の日程で
回向を施行し御先祖様はお喜びなので、今後は御先祖様の回向を忘れず感謝して、暮らせば、子々孫々まで幸福は続くでしょうと託宣された。それ以後頑固な 脊柱管狭窄症 の症状も安定改善し
歩行も容易になり、ほかの疾病も辛い事なく、推移安堵の日常である。
我が家の後継問題も『後藤智光師』に相談した処、最初から決まっている事なので、志保ちゃん本人から申し出てくると教えの通り、23年3月 看護師試験に合格、大学病院に就職決定、就職してから、改姓するより、今のうち入籍したほうが良いと申し出があり、 御堂島後継 として
入籍し、6年後29年11月25日、消防署勤務との良縁を得て、挙式、翌30年9月第一子誕生
もまじかで、御先祖様の御加護と『後藤智光師』の霊能に感謝である。
今一つ忘れてならないのは、孫可奈子 不可能を可能にした 住宅建築の霊能である。
姉明子 石神井町で結婚新住宅の建設に刺激され、田柄周辺住宅探しを試みたが、条件に合う物件
は見つからず、熟慮の結果私の貸家をリホームして住む以外、方策無しと結論で、三沢屋建設
依頼。解体に着手した処、私道が持ち出し道路で、建築再建不可地域であり、前所有者が鉄骨業の為、敷地一杯に増築され、近隣から区役所に苦情申請され、工事は中断した。そんな中 『後藤智光師』に依頼 地祭りを した際、この敷地は湿気と霊気で最悪無理して建てても幸せは来ない、この霊気除去の方策は、四隅に水晶玉を埋めると良いと、道場神殿で祈祷し、地鎮祭を終え、これで良い家屋が出来幸福になれますと託宣して帰られたが、その通り、建設会社の
社長・部長が数十枚の設計図持参。行政と交渉の結果、役所指示により、建築確認も交付され、
基礎工事も湿気防止の措置も完璧で、小さいながら、使い勝手の家屋完成に親子四人満足の家であり、心より『後藤智光師』の霊能に感謝である。